色々なところで言っているので読者諸兄は既にご存じのことではあると思いますが、私は一度入った大学を辞めて浪人しています。その浪人していた1年半に起こった印象深いことでも雑多に書いていこうかなと。あ、今回は勉強以外の話に限定します。
コロナ勃発
超ビッグイベント、大変なことになりましたね。これはもう言うことないですね。マスクが売り切れてる写真、この光景も最早懐かしい。
関数で遊ぶ
理系なら誰もが一度はやったことがあると思いますが、関数で絵を描いて遊びました。題材は、まぁ、見ればわかるよね///
語呂合わせを考える
ストレス溜まってたのかなぁ、周期表第4周期のこんな語呂合わせを考えます。
スカトロちんこバナナ黒いまんこのてつこ二度喘ぐが、ゲロ汗臭いクリトリス
スカ(スカンジウム)トロちんこ(チタン)バナナ(バナジウム)黒い(クロム)まんこ(マンガン)のてつ(鉄)こ(コバルト)二(ニッケル)度(銅)喘(亜鉛)ぐが(ガリウム)、ゲロ(ゲルマニウム)汗(ヒ素、セレン)臭い(臭素)クリ(クリプトン)トリス
注)ヒ素 セレン→As Se→ASE→汗
病気だよ、病気。ちなみに受験では毛ほども役に立たんかった。
オナホバチ
当時既に太鼓の達人を始めておりマイバチも持っていたのですが、なぜかそのマイバチにオナホをはめて太鼓を叩きました。なんでそんなことしたのかな。
一応言っておきますけど、新品未使用品です。大切なことなのでもう一度言います。写真に写っている一対のオナホは新品未使用品です。
ここまで書いてきて思ったのですが、私の人生こんなのばっかですね。実はそれ系統でビッグな話があと3つほどあるのですが、さすがにここに書ける内容ではないかも知れないので一旦保留で。見たい人がいれば書くかも?
網膜剥離で手術した話
最後は少し真面目な話、網膜剥離になってしまったので左目を手術しました。
高2くらいですかね、左目の視野が右目に比べて若干狭いことに気が付いたんですね。でもまぁ、まぶたが若干下がってるとかだろうなと思っていました。そして3年程経った浪人期、気づけば左目の視野は右目の半分程になっており、直線は全て歪んで見えていました。母親に相談すると速攻で眼科へ連れていかれました。びっくりしましたよ、左目の網膜下半分くらいべろり~んて剝がれてました。なんなら右目も割と剥がれてました。あと2年くらいで失明してたとか言われて怖かったです。何が怖いって、母親にドヤされてから病院行ったので、山口大学辞めずに一人暮らし続けてたら多分病院行ってないんですよね。失明はしなくとも義眼にはなってたかもしれない。あ、それ失明してるか。みんなは面倒くさがらずにちゃんと病院行こうな。
その後、右目の網膜はレーザーで軽く治療しましたが、左目はそう簡単に治せません。全身麻酔で手術することになりました。強膜バックリング手術というもので、バンドみたいなので眼球の形を矯正して網膜にゆとりを持たせた後、凝固剤で元通り張り付けるというものです。手術自体は初めての経験で面白かったです。全身麻酔って凄いね、気づいたら見知らぬ天井でしたよ。あとこんなでかい眼帯付けられた。草
計1週間くらい入院していましたが、コロナ禍にあっては入院生活も一苦労でした。ご飯食べる時にお箸貰えないんですよね。1階の売店で事前に買っておいたので事なきを得ましたが、うっかり買い忘れていたらえらいことです。手で食う他ありません。いや、マジで。
そういえば何で網膜剥離になったか説明してませんでしたね。原因は以外と単純で、目を擦っていたから。私昔から目を擦る癖があったんですよね。特に勉強とかしてて行き詰まった時とかにぐしぐし擦ってました。それが眼球に無理な圧力をかけていて、網膜がベロっと剝がれてしまった感じです。こんなことでなっちゃうんですよ。怖くね? それに若年層の網膜剥離って結構な確率で再発するそう。怖すぎ。みんなも目は大切にしようね。
まとめ?
以上、浪人中の思い出話でした。割と明るめ?の話題ばかり集めてきたので、今度は逆に辛かったことだけ集めたブログなんか書いても良いかもしれないですね。
てかなんか最終的に目の手術話みたいになっちゃったね。まぁろくに推敲もせずだらだら書き殴ってるブログなんだし、そんなもんで良いんですよ。じゃあまたね。